
禅語 ー「無事」ー
禅語の「無事」の解釈は、
ことしも無事で過ごせました。ご無事で何よりですなどの、意味合いとはまた少し違い、
禅語の表す無事とは、平常を表す意味合いがあります。ただただ淡々と行うことを行うことこそが平常であり無事ある、というような意味合いもあります。
こちらは、僧侶や修行僧を思い浮かべるとわかりやすいと思います。
「善だの悪だの、暑いの寒いのあーだこーだ言ってないで、外側の現象に振り回されず、淡々と自分の進むべき道のことに精進しなさい」というような解釈があります。
臨済録の「無事是貴人、但だ造作すること莫れ、ただ是れ平常なり」からも解釈しています。
何があろうと、当たり前の事を当たり前に淡々と、というのは、禅の言葉ですので悟りの一つではありますが、(あるがまま、平常心であることこそが無事である)という禅語です。
あるがまま、と言いますと、何もしなくていいよ。という意味にも解釈できますが。
道の世界でも、平常心を表します。
平常心ってある意味「楽」でもあると思うんです。
平常心の時は、下のお大仏さまではないですが、さらっとしてるんです。
風通しがいい感じというのでしょうか。
楽って、人といるうえでとっても大切だと思うんです。
ゆるんでる人のそばにいると自分もリラックスするような。
私たちは修行僧ではないので、常に何があっても平常心、なんてなかなか難しいことかもしれませんが、
そこの軸に戻れる自分である事ががわかっているだけでも、大丈夫だと思うんです。
私ももともとは体育会系なので、何事も、淡々と重ねてこそ初めてできる。というような考えはありましたが。
私のところに来てくださる方達が、もう十分だよ。というくらい、何事も真面目で向上心がある方達なので、そういった向上心があって真面目で、なんでもつきつめて、やりすぎてしまう方たちが、ゆるんでくれると嬉しいなあといつも思っています。なので楽しんでいたり、嬉しそうに笑っていたりすると、単純に嬉しいです。
例えば自己啓発の本を読むような方ほど、すでに十分努力をしていたりします。
それでも、向上するお時間が取れないと何もしていないように感じてしまうとも。
日本での働く形態は、サラリーマンが9割とも言われています。こちらの解釈は消して会社員ということではなく、業種形態を問わず自ら働く時間などを決められない人の事をさします。
例えば朝8時に出勤し、夜の10時にお家に着くような方でしたら、自分のお時間は何時間でしょうか。外で働く方は起きたままではでかけられないので、プラスアルファもあります。
それだけでも、毎日素晴らしいと思うのです。
やはり何でもいいから生きていてくれるだけでも十分だと思うので。
みんな素晴らしく十分だと。

和み、リラックス、休息も大切に!
ゆるめてゆるめて~~!
たまにはゆっくりすわってほっとひと息。
そしてぐっすり眠って、
明日もよき日を。

お大仏さま、平常心ですね!和みます。
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